ゾロがキッチンを出て行って数分後、突然響いたドッドーンという爆音と、続けて上がった激しい水音にサンジはハッと顔を上げた。
「ルフィー! お願い!」
「おう、行ってくる」
扉の外から聞こえたナミとルフィの声に、サンジは音を立てて飛び上がるように椅子を蹴り大きくキッチンの扉を開いた。その視線の先で麦わら帽子を片手で押さえた船長が楽しげな笑い声を上げて海賊旗へと飛び移っていった。
「ルフィ!」
「サンジ!」
慌ててキッチンから出てきたサンジの姿を見つけたチョッパーが甲板中央から呼びかけてくる。その声に気付いたのかナミが振り向いた。
「サンジくん! キッチンに入ってて!」
「そうだぞサンジ。ここは危ないぞ、キッチンに入ってろよ!」
甲板中央に陣取った二人の姿と、二人それぞれから掛けられた言葉にサンジは慌てて手摺を飛び越え、二人の下へと駆けつけた。
「な、何言ってるんですか、ナミさん。ナミさんこそ、ここは危険ですから、中に避難して・・」
「サンジくん、ゾロから聞いたわ」
トンと手に持つ天候棒で軽く床面を叩き、サンジの言葉を遮ったナミがほんの少し眉を寄せる。
「・・・すみません」
自分の不注意でこの船の足を止めてしまうのは本当に申し訳ないとサンジは体を小さくする。そんなサンジの姿にトントンと床面を数度叩いたナミがはあっと大きな溜め息をついた。
「水臭いわよサンジくん!」
「ハイ!!」
「サンジくんは大切なこの船のコックなのよ。サンジくんに何かあったら困るのは皆よ」
ナミの言葉にニコニコとチョッパーが嬉しそうに笑う。サンジは言葉もなくじんわりと胸に溢れる思いにただナミを見つめるしかなかった。
「・・・それに、この船にはアタシっていう優秀な航海士がいるのよ。五日や六日。いいえ、十日の遅れだってあっという間に取り戻してみせるわ」
笑顔を浮かべながらきっぱりと断言したナミにサンジはゆっくりと瞬きを繰り返した。
「ほらなサンジ、ナミだって怒ったりしねぇぞって言ったとおりだっただろう?」
ニコニコと楽しそうに笑いながらのチョッパーの言葉にサンジは照れたように笑いかえす。
「ヤバイぞ! 右舷4時の方向! 接近された!!」
一瞬ほのぼのとした空気が漂った甲板に突如ウソップの緊迫した声が響き、サッと三人の顔色が変わる。見張り台から敵船の様子を見ていたウソップがゴーグルを覗きながら切迫した声を上げた。
「あいつら乗り移ってくるぞ!」
「も~、あの二人は何やってんのよ~」
ウソップの言葉にナミがバタバタと走り出す。それに続いて駆け出そうとしたサンジは両手を広げて進路を遮ったチョッパーに眉を寄せた。
「あ、サンジは駄目だ。中に入っていてくれ!」
チョッパーが先程出てきたばかりのキッチンを指差す。
「おい、何、冗談・・・」
「冗談じゃないよ、今のサンジは足手まといになるんだ」
「テメェ・・・」
強気にサンジをその場に押し止めようとするチョッパーを睨み付けてサンジが低く唸る。
「駄目だよ、サンジ。敵は刀を持ってる奴もいるんだ」
先にその場を駆け去ったナミの後を追おうとしたサンジの前に立ちはだかったチョッパーが医者の顔で告げる。その言葉にサンジは愕然と大きく目を見開いた。戦闘において自分が役に立たないどころか足手まといになったことなど過去に一度として記憶にない。しかもこの麦わらの旗の下でなど絶対に有り得ないはずだったのだ。だが、確かに現在のサンジはチョッパーの言葉通り足手まといになりかねない。
「頼むから中に入っててくれよ」
幾分申し訳なさそうに言葉にするチョッパーにサンジは強張りかけていた身体の力を抜いた。先の島を出航してから平和な日々が続いたおかげで料理の事だけ考えていたが、確かに刃物が扱えない、刃物を見るのさえきつい現在の体調ではサンジはまったくの戦力外としかならない。
「わかった・・・すまねえ、チョッパー」
悔しいとは思うが、ここで意地を張っても仕方ないとサンジは小さく口元を歪める。
「美味いもんでも用意して待ってるさ」
戦闘後、腹を空かせているだろうルフィや皆の食事を用意して待つのもたまにはいいだろうと気分を切り替えてサンジはキッチンへと続く階段をのんびりと登り始めた瞬間だった。
「ナアアーミィィィ」
「ルフィ! 危ねぇ!!」
「うわああ!!」
エ?も、ア?も、思う間もなくサンジの視界を斜めに船長の赤いベストが横切っていく。
「ウワアアアア! ルフィィ!!」
バッシャアアーン! と水飛沫が上がり、船縁から海面に向かって叫んだチョッパーの姿に一瞬止まりかけていた頭の中に漸くルフィがメリー号に飛び移ろうとして、大砲によって海に落下させられたのだと認識する。
「後は頼んだ、チョッパー」
階段を飛び降り、そのままの勢いで船から、海へと、先程水しぶきが上がった先を目指してサンジは身を躍らせる。
「クソコック!」
着水する瞬間に聞こえたゾロの声にニッと唇を笑みに歪めて、サンジはゆっくりと海の中へと潜っていったのだった。
「ゼェゼェ、はァァ~あ、死ぬかとおもっだ・・・」
ピューピューと口から海水を噴出しながら甲板に転がるルフィと、それを呆れたように見下ろすナミに苦笑してサンジは軽く片手で顔の水を拭った。
「もう、あれほど無駄に飛ばないでって言ってるのに」
「ず・・ずばん」
たっぷり海水を飲んだのか、まんまるに膨れた腹を天候棒の先でつつきながらナミが呆れたように口を開く。それにピューピューと水を吐き出しながらルフィが謝る。
「ルフィ、海水、吐いちまった方がいいぞ~」
ツンツンとナミと同じように笑いながらチョッパーが蹄でまんまるな腹を面白そうに突く。
「えー・・・・いい、せっかく・・」
微妙に海水を吐き出すことを嫌がるルフィにウソップがヤレヤレとばかりに肩を竦める。
「いいから、ルフィ、船医も言ってんだ。海水吐いちまえって・・・・・ホラ!!」
「ウゲッ!!」
悪戯っぽい笑いながら、案外容赦のないウソップの腹への一撃に、ルフィが目を白黒させ、大きく頬を膨らます。そして次の瞬間ピュウウウ~とルフィの口から水柱が上った。
「アアアアア!!サンジ! いたァア!!」
キラキラと青空に向かって吹き上がる水柱を眺めていた、チョッパーがいきなり大きな歓声をあげる。ピュウピュウとルフィから吐き出された海水の中からキラリキラリと何匹もの魚の鱗が光を反射して輝く。
「・・・・・ルフィ」
「・・・アンタって・・・」
「食い意地が張るのもここまでくればいっそ見事だな」
「良かったなあ、サンジ」
「・・・・・ハハ・・・、良かったのか?コレ」
ピチピチと甲板で飛び跳ねる小さな魚はここ数日出会いたくて仕方のなかった食材だ。
「まあ、いいんじゃねえか」
「そうそう、結果よければって言うじゃない」
ニヤリと意地悪く笑ったゾロと、にっこりと楽しそうに笑ったナミに、サンジは小さく肩を竦めると甲板で飛び跳ねる魚たちをそっと拾い上げたのだった。
~END~